先日、マインドフルネス瞑想指導者養成講座を修了しました。
わたしが瞑想をはじめたきっかけは、とあるボディワークのクラスに通い始めたこと。
唐突に『ただ座ってくつろぎなさい』と言われるまま、いきなり60分や90分の瞑想からスタート。
ただ座ってくつろぐ……半眼でただ座って何もしていないのにくつろげない自分に気がついて焦る、さらにくつろげない。
「何のためにこんなことをしているのだ」と声が聞こえてきて内側から不安がにじみ出て、「こんなことをやって何の意味があるの?」「時間の無駄じゃないの」と思考が抵抗をはじめる。
そのうち先生から『観ている人を観ている人に気づく』と言われて、さらに何のことやらさっぱりわからなかったことを強烈に覚えている。
清々しいくらい何もわからなかった。
自分の経験や学んだことがまったく役に立たない世界が現れて、さっさと降伏した、そんな感じだった。
理解できなくても、失敗だったとしても、経験することで想像力は広がっていく。
あれから16年、紆余曲折ありつつ。
あのワークで「全然わからないけど気になって仕方がない」という、内側から出てくる衝動がわたしをここまで連れてきてくれたんだと思う。
それからヨガに出会ってだいぶ人生が楽になって。
でもそれだけではまた行き詰まる。
「ヨガをしっかり実践していたはず」なのに大病を患い学んだことを一旦手放さざるを得ない状況になったことで、意識がより内的な世界に向かっていった。
『身体やこころを感じること、声を聞くこと』は、わたしの身体や心を深く深く癒してくれた。
わたしたちは身体に問いかけてばかりだ。
もっと早く、もっと正しく、もっと立派なよりよい自分に…
一方的な自問自答のおしゃべりは身体やこころを消耗させていく。
今回の講座で綿本先生が仰ったのは
『まず、受けとってみる』
あぁ、本当にそう。
わたしがこの16年で実感したことはそれだ。
いまもそのまま、ありのまま受け取れないことがいっぱいある。だけど、そのままを受け取っていない、受け取ろうとしない自分を知ったことによって、思いや感情が暴走することがうんと減った。
瞑想は毎日の暮らしの中でいつでも行うことができる。
時間を作って座ってもいいし、座らなくてもできる。
瞑想とは呼吸や身体を感じ、自分の思考や感情を見つめつづけること。
わかる、わからないのその先へ。
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