先月末、下北沢の書店で行われたトークイベントに参加した。
「吃音 伝えられないもどかしさ」という本の著者である、近藤雄生さんと重松清さんの対談だった。
この本に心動かされたわたしは、あちらこちらで薦めている。
夫に軽度の吃音があるので、わたしにはとっても身近な事柄だということもあるけれど、
わたしはいつも自分のことを疑っている。
自動的に無意識に「普通」という物差しと眼鏡で世界を覗いて
理解してつもり、わかっているつもりになっているだけなんじゃないかと。
重松清さんが
「伝えられないことを伝えられないもどかしさがある」
と仰っていた。
夫は2人のトークを聞いている間に、様々な記憶が甦ってきて
まるで自分が言葉に詰まっているときのように「喉が閉まって苦しくなる」と言っていた。
苦しくなるから、本を読めないとも言っていた。
いまは発達障害に対する社会的な理解も深まってきて、少しづつよくなっていると思っていた。
できないことは恥ずかしいことではなく、個性なんだよと言える社会になったらいいよね、と。
だけど、この本にも書かれていたけど
「吃音も個性のひとつ。どもってもいい」という考え方があるけれど
一方で、吃音を治したいと考え、必死に訓練に取り組む人もいる。
「個性なんだから」と当事者以外が、
軽く片付けてしまうことも、乱暴な反応なんだと知った。
遠い昔、夫から吃音を打ち明けられたわたしは、あろうことか
「え?そんなことを悩んでいるの?」
と軽く反応してしまった。
他人からすれば、気づかないくらいの吃音でも
夫にとってはずっと悩んできたことだったのに。
起きてから眠るまで、どもらずに発語できるよう「言い換え」を考え続け、
電話を避ける方法を考え、
食べものを注文するときは、食べたいものより、どもらず注文できるものに変更する。
ずっと身体は緊張したまま。そんなことにはまったく気づかなかった。
「伝えたいことをスラスラと伝えられない」
という苦悩への想像力が、あの頃のわたしには足りなかったんだと思う。
「天皇陛下以外だったら、なんでもなれるし、
できないことなんてこの世界にはない。やるかやらないかだけだよ」
などと、よくもまあそんな無鉄砲で無責任で乱暴この上ないことを言えたもんだと、
我ながらあの頃の自分にあきれるけど(今もその考えは変わらないけど、他の誰かに言ったりしないくらいの分別は持てるようになった)
この出来事がきっかけで、誰とも関わらずにできる仕事(革鞄の職人)をしていた夫が
「もっと人と接する仕事に就いてみよう」と方向転換できたたんだと話してくれた。
でもやっぱり。
想像力とデリカシーに欠けている自分が恥ずかしい。
どうやったら自分の色眼鏡を外せるのかな。
「最初の人間」は世界をどう見ていたのか。
世界という概念さえないころの目は何を見ていたのか。
0コメント